
西宮紅茶の歩み
—紅茶文化を日本へ。創業者 椿本ウィリアム道隆の挑戦—

明治時代、日本における紅茶の存在はまだ希薄で、人々の暮らしに馴染みのある飲み物ではありませんでした。
当時、日本のお茶文化は煎茶が主流であり、紅茶は一部の外国人居住者や上流階級の間で楽しまれる程度だったのです。
そんな時代に、日本初の紅茶専門店「西宮紅茶」を創業したのが椿本ウィリアム道隆でした。
父の想いと、幼き日の道隆

道隆の父 椿本正隆は、日本からイギリスへ留学した優秀な植物学者でした。イギリスの大学で植物の研究に励む中で、一人のイギリス人女性と出会い、結婚します。
彼女こそが道隆の母のセシリアで、紅茶を愛してやまない英国の女性でした。
結婚後、正隆は妻のセシリアと共に日本へ帰国。
彼は愛する妻のためにイギリスから紅茶を取り寄せるようになります。しかし、当時の日本では本場の紅茶を手にすることは非常に困難でした。紅茶の輸入ルートが整備されておらず、品質の良い紅茶を安定して仕入れるのは至難の業だったのです。
さらに紅茶は価格も高く、一般家庭にはほとんど普及していなかったのも、困難に拍車をかけている一因でした。
それでも、正隆は植物学者としての知識と人脈を活かし、何とか紅茶の買い付けを続けました。

道隆は、そんな父の姿を幼いころから間近で見て育ちます。
紅茶を楽しむ母の姿、そして父がそのために奔走する姿を見ながら「紅茶がもっと身近なものなら、いいのではないか?」と感じるようになりました。
そして次第に、「日本にもっと紅茶を広めたい」という想いをいだくようになりました。
日本初の紅茶専門店の誕生

やがて成長した道隆は、紅茶のすばらしさを多くの人に知ってもらいたいと考えるようになりました。
しかし、当時の日本ではまだ紅茶が一般的ではなく、煎茶が主流でした。
「紅茶を日本の文化に根付かせる」という挑戦は大きな困難を伴うものでした。
それでも、道隆の情熱は揺るぎませんでした。彼は本場の紅茶を提供するため、独自のルートを開拓し、厳選した茶葉を仕入れることを決意。
そして明治38年、日本初の紅茶専門店「西宮紅茶」を創業します。
店を構えた当初、紅茶を飲む習慣のない日本人にとってそれは新しい体験でした。
しかし、丁寧に淹れられた紅茶の豊かな香りと味わいは、次第に人々の心をつかんでいきます。
道隆は紅茶のおいしさを伝えるため、試飲会を開いたり、紅茶の楽しみ方を提案したり、実演したりと様々な工夫を凝らしました。
彼の努力は少しずつ実を結び、西宮紅茶は「本物の紅茶を味わえる店」として、多くの人々に親しまれるようになりました。
そして、その精神は現代にも受け継がれ、今もなお「確かな品質」と「至高のひと時」を大切にしながら、紅茶文化を未来へとつないでいます。
120年の時を超えて

創業から120年。今も西宮紅茶は、創業者 椿本ウィリアム道隆の想いを胸に、厳選した茶葉を仕入れています。スリランカの農家と直接取引を行い、高品質な紅茶をお届けすることにこだわっています。
また、紅茶をより身近に感じてもらうため、西宮・芦屋に喫茶店をオープン。オンラインショップでも紅茶の魅力を発信し続けています。
「紅茶は、ただの飲み物ではない。香り、味わい、そしてひと時の安らぎを届けるもの」
創業者 椿本ウィリアム道隆が抱いたその想いは、時代を超えて今も生き続けています。